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救いのみわざ(愛の慈悲)

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(11) イエズスは子供たちを祝福される

 

  イエズスは30才になった頃、パレスチナの村々をめぐりながら、群衆に教えられ始めました。
 神にとって、すべての人間がどれほど大切なものであるかを、イエズスは、たびたびいろいろな方法で人々に話しました。
 ”その時、イエズスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らを
たしなめた。すると、イエズスは言われた。「幼な子らをそのままにしておきなさい。私の所に来るのをとめてはならない。
天国はこのようなものの国である」。そして、彼らを抱き、手をその上において、祝福された。”(マタイ19・13〜16)

子供たちに対してやさしい愛をあらわされたイエズスは、特に病人、身体の不自由な人、そして、罪人などに対しても同じように寛大な心をお示しになったのです。



(12) こよなく愛した


 ”友人のために命を与える以上の大きな愛はない”(ヨハネ15・13)
 イエズスはご自分の死によって、人間と神との和解を、そして、人間相互のと自然との関係を回復しました。十字架は私たちに神の慈悲について語っています。エデンの木は(?参照)死をもたらしましたが、十字架の木は人間に永遠の生命を与えたのです。
ご自分が神であるといわれた神の子イエズスは、そのために十字架にはりつけになりました。
 
十字架の左側に母マリア、右側に弟子のヨハネが立っていますが、他の11人の弟子達は逃げてしまいました。群衆に教えを説き、病人をいやし、ご自分の死と復活を予言してから、イエズスは最も大きなけんそんの模範と、人間への限りない愛のあかしをお示しになったのです。
”キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることに、固執しようとは思わず、かえって身を無にして、しもべの身分になり、人間と同じものになりました。へりくだって死にいたるまで、それも十字架の死に至るまで柔順でした。”


カロン神父へ 

004年6

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