主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   

年間第11主日B年説教(6/17)
マルコ4・26〜34

 植物のたとえは、福音書にいくつか出てきますが、神さまのはたらき、わざが植物の色々な面と似ているからでしょうね。わたしたちのような動物ではないところも、結構大きなポイントかもしれません。

 「からし種」とはからし菜という植物の種だそうですが、わたしが以前いた茅ヶ崎の教会の聖堂裏に、誰がどこから持ってきたのかは知りませんでしたが、一本植えられていました。高さは2メートル位でしょうか、幹はそんなに太くありませんでしたが、とにかくわたしの背よりも高かったです。前もお話ししましたが、わたしはその頃勘違いをしていて、「からし種」というから“粒マスタード”のあの粒のことだと思っていました。茅ヶ崎でもミサの説教などでさんざん「粒マスタードの粒みたいな小さなものからあんなに大きくなるんですね」なんて言っちゃってたんですが、ある時イスラエル巡礼に行った信者さんが「神父さん、違うよ、別物だよ」と言って、現地から持ってきた本物の「からし種」を見せて下さいました。いや〜、驚きました。粒マスタードの粒よりはるかに小さく、砂粒くらいの大きさでした。ますます、こんな小さな物からなんであんなにでかい植物が育つのか、まったくさっぱり理解できない感じでした。神さまのわざもまさにそう、人間の想像や常識をはるかに超えるものということなんでしょうね。

 やはり茅ヶ崎にいた時、ある方が教会のあるグループに古い日本家屋を提供して下さいました。色々な使い方ができると、その家の名称を色々考えた末、「からし種の家」と命名されました。開所式のとき、どこかのシスターが庭に植えるために「からし菜」持って来て下さったんですが、それがわずか15センチほどの大きさで、思わず“ちっちゃ!”とか思ってしまいました。そのシスターに「どれ位でここまで育ったんですか?」と聞くと、「3年かかりました」とのことでした。なるほど、大きく育つにはそれなりの時間が必要なのか‥とも思いつつ、日本でだからなのか、パレスチナでならもっと早く大きくなるのか、そこのところはよくわかりませんが、しかしここにも神さまのわざの特徴とも言えるものがあるのかなとも思いました。時間のとらえ方の違い、とでも言えるでしょうか。「3年でこれだけしか」と考えるのと「3年経てばここまで育つ」と思うかでは、そこでおきていることのとらえ方が全然変わりますよね。

 今年は第二バチカン公会議が開催されてからちょうど50年に当たります。教会の歴史を見る時、そこにある神さまの御計画の遠大さというものをいつも感じざるを得ません。よく「教会は変わるのに100年かかる」と言われますが、これも「100年もかかるのか」ととらえるか、「100年で変われるんだ」とするのかで変わってきますよね。50年ではその半分ですけど、この50年で教会がどれほど変わったか‥と考えると、やはりそこにある神さまのはたらきやわざの大きさに気づかされる思いです。

 これも前に話しましたが、最近、青少年とのかかわりを長くやりすぎてるなと思うことが多々あります。と言うのは、特に今年度大学生になった青年たちの中に、かつてわたしが大学生の頃学連をやっていた時の先輩や後輩のお子さんがやたらといるんですね。完全に「二世」の時代なんだな‥と。でも、違う見方があることを今日の聖書箇所から気づかされました。目の前にいる大学生の若者の存在は、約20年にわたって神さまが様々なわざやはたらきをなさっているしるしに他ならないんだ、と。

 わたしたちは毎日を生きることで精一杯で、なかなか長い時間のスパンで物事を考えられませんが、ふとした時に振り返ってみると、自分が気づかなかったところ、見ていなかったところでこんなにも沢山の神さまのわざがはたらいていた事に、今更のように気づかされるのではないでしょうか。第二朗読の中でパウロが二度にわたって「わたしたちは心強い」と言っていますが、様々に苦労を重ねて宣教してきたパウロは、神さまのわざが確実にはたらいていることを、いつも実感していたのでしょう。わたしたちも、今も確実にはたらく神さまのわざに、改めて信頼して歩むことができるよう、共に祈りたいと思います。


マルコによる福音 4・26〜34 

 

また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。(マルコ4・26-34)


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