主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   


年間第18主日(8/3)A年(マタイ14・13-21)


 「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」‥しかしそれによって「すべての人が食べて満腹した」。いわゆる供食奇跡と呼ばれるこの箇所は、様々な面で神のはたらき、わざのシンボルであるといつも感じます。

今回単純に頭に浮かんだのが「持ち寄りパーティー」でした。よくやりますよね。まぁパーティーまでいかなくても、例えば家庭集会などでお昼をみんなで持ち寄ります。一人ひとりの持ち寄る物はわずかでも、それで豊かな食卓になります。わたしはいつもその恩恵にあずかっているわけですが‥。ま、「持ち寄り」はもともとそれを意図したものであるわけですが、そんなことを意識しない時でも、各人が少しのものを持ち寄ることで、神さまがそれをつなげ、何倍にも膨らませて下さる‥色々なところで、そんな実りをわたしたちは経験しているのではないでしょうか。

話は変わりますが、毎年8月の最初の週末、金土日で「エイズ文化フォーラム in 横浜」というのが横浜駅近くの神奈川県民センターで開催されています。今年もこの週末やっていますが、これは今年でもう21回目、横浜教区は開催時からずっとスポンサーのひとつになっていて、4年前からわたしがその担当になっています。ここには毎年、全国から実に様々な人たちが集まって来ます。医師、看護師、養護教諭、いろんな「性」に関する施設や団体の関係者、ボランティア、そして教会関係者。毎年たくさんの学びや発見があり、そしてたくさんの人との出会い、またすでに「つながって」いる人とのそのつながりの発見があります。昨日わたしは、「宗教とエイズ」というプログラムに登壇してきました。これもここ数年毎年やっているものですが、医師と浄土真宗のお坊さん、プロテスタントの牧師さん、そしてわたしというメンバーでのパネルディスカッションのようなものです。いやこれが‥ほんとにおもしろい。やっててもおもしろいし、参加者として聞いててもおもしろいんです。言わば「性」「病気」「生と死」といったことについて、各宗教、教派の立場、そして医師の立場からそれをどうとらえているかを分かち合うわけですが、不思議に最後は最も大切にしていることはそれぞれ同じという結論が見えることです。やはり「人を大切にしよう」というポイントで生きようとする時、そこでいきつくところはやはり同じ‥ということでしょうか。しかしさらに驚いたのは、一昨年その浄土真宗のお坊さんに初めて会って、わたしが横浜雙葉で長年働いていると言ったらなんと「わたしの大学の後輩に横浜雙葉の卒業生がいますよ」と言われたことです。そして昨年学校で偶然その人にも会いました。「わたしがあのお坊さんの後輩です」みたいな。なんなんだこれは‥って感じです。よく「教会は狭い」という話をします。教会活動をしていると、どこかで意外な人がつながっていることが多い、ということですが、これ教会だけじゃないですね。そして、これぞ神のわざ、はたらきなんだと強く感じます。教会にとどまらず、「誰かのために何か‥」と人が集まる時、必ず神さまが意外な形でそれをつなげ、その「つながり」を通して何倍にも膨らませ、増やして下さる。持ち寄るものが何もなくても、そこで差し出すのが「自分」でもありなんだと思います。「出すものが何もないので、『自分』が来ました」でも。その自分と誰かを神がつなげて下さるんですから。この「エイズ文化フォーラム in 横浜」、最終日の日曜の閉会式は、いつも忙しくて行けませんでしたが、今年は今日だけ横浜雙葉の茶道部の子たちがお茶を出すというので、これから顔を出してこようと思います。みなさんもお時間があったら是非いらして下さい。

様々なところで、わたしたちが差し出した小さな何かを神が色々なところにつなげ、豊かに膨らませて下さる‥そんな神さまのはたらき、わざにいつも気づくことができますよう、祈りたいと思います。

 


 

マタイによる福音 14・13−21

イエスは、(洗礼者ヨハネが死んだこと)を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 イエスは言われた。 「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。 そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、 女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。


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