主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   


復活節第5主日C年(2016.4.24)

[ヨハネ13:31〜33a, 34〜35]



 「あなたがたに新しい掟を与える」‥実はこのイエスの言葉は当時かなりの問題発言だったと思われます。「掟」とは直接には旧約の律法の条項を指しました。その数、613を数えたそうです。それを全部チャラにして、「新しい掟」を与える、というのですから、ユダヤ教の伝統を根底からひっくり返すものでした。しかしイエスは一貫して、なぜ律法というものができたのか、そのおおもとに戻れと言われます。律法はもともと、「出エジプト」という救いの出来事に対する、人間の側からのリアクションでした。こんなにもわたしたちは救われたのだから、救って下さった神を大切にしよう、そして救われた者どうし、わたしたちもお互いに大切にし合おうという、言わば〈神と人とを大切に〉というものでした。それが「モーセの十戒」となり、さらには色々な条件やら解釈やらがついて、613もの「掟」となっていったのです。それをイエスはもとに戻そうとされた、と言ってもいいかもしれません。

ただ、「隣人を愛する」という教えは旧約にもあります。何が「新しい」のか。それは「わたしがあなたがたを愛したように」‥つまりイエスの愛し方です。ヨハネ福音書では、最後の晩餐の席でイエスは弟子たちの足を洗われました。「仕える者」となられた愛し方。そして自ら十字架を担われたイエスは、御自分のいのちをもって愛され、さらに復活されたイエスは自分を裏切った弟子たちのところに、御自分の方から現れて下さった。言わば一方的で無限の愛し方です。これはまさしく、神の愛し方ということができるでしょう。そして、わたしたちもそのように愛し合え、と言われるわけです。が‥ここまでくると、いや〜神さまのように、そしてイエスのように愛するなんて無理!と思ってしまいます。しかし、すべてのベースに〈神の愛〉があることを考えれば、そんな愛し方を可能にして下さるのもまた神御自身、とも言えます。

熊本の方々は実に大変な状態に置かれていますね。でも今回は東日本大震災からあまり間がなかったせいか、色々なところの動きが早いようにも感じます。こちらでもたびたびお世話になっている横浜教区の青年たちの東北支援のグループ「Peace be with You」ですが、青年たちの反応は今回も迅速でした。

たまたま今年は久しぶりに新しいTシャツを作ったんですが、今回は仙台のメーカーにお願いしました。その方が復興支援になるだろうということで。そしてちょうどさぁ売るぞ!という時だったので、じゃあこのTシャツの売り上げは熊本のために使おうということになり、青年たちはネットで情報を調べて状況を把握し、さらにほとんどネットで支援物資を手分けして注文し現地に送り始めました。いや〜すごいなぁと思います。デジタル力のないわたしは何もできないでいるんですが‥。やはり仲間がいるのは強みだなと思いました。と、そこで聖書の言葉が浮かびました。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる(マタイ18:20)」そうか!と気づきました。共にいて下さるキリストが「愛する」ことを可能にして下さるんだ、と。自分の力では到底無理、そして一人では何もできない‥しかしキリストの名によってわたしたちが集まる時、そこでいつも何かが起きる、共にいて下さるキリストを通して、神御自身がはたらいておられるのだ、と。

そんな神さまの助けを信じて、わたしたちも自分のできることを少しずつ、共にやってゆくことができるように祈りたいと思います。


                                             鈴木  真

                                



(ヨハネ13:31〜33a, 34〜35)

 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。

 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」


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