主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   


 年間第12主日A年(2017.6.25)

[マタイ10:26〜33]



 

 きょうの箇所は、直接には宣教と迫害についての内容ですが、この言葉が目にとまりました。「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」‥暗闇で言われていること、耳打ちされていることとは、いったい何でしょうか。単純に考えると、与えられているもの、いいと思うことをより多くの人と分かち合いなさいということか‥と思います。

そこでふと頭に浮かんだのは「お土産」です。わたしは食べることが大好きなので、旅先や出掛けた先で美味しいものに出会うとうれしくなります。そしてこれは自分だけが楽しむんじゃなくて誰かにもあげよう‥と買って帰るのですが、よく考えてみると食べ物は好みがありますから、いくら自分がいいと思ってももらった相手にとっては有難迷惑‥ということもよくあるわけです。食べ物ならそうですけど、それが【福音】であるならば、すべての人にとって良いものであるはずです。

何かの折に話しますが、わたしは長年、横浜の関内駅周辺の野宿者を支援する「木曜パトロール」という活動をやっています。でももともと趣味で始めたことですので、あまり人には言いませんでした。今でも決して人は誘いませんし、来て欲しいともあまり思いません。しかし二俣川教会にいた時、その木曜パトロールの信者ではないメンバーの一人からこう言われました。「鈴木さん、いいことは言い広めなきゃだめだよ」‥いや、別にいいことしてると思ってねーし。とその時は思ったのですが、たまたまその年の冬に配るための毛布が足りなくなって、渋々ながら二俣川教会の皆さんに寄付をお願いしました。するととてもたくさんの防寒着や毛布が集まって、今でも二俣川の方々は毎年集めて下さっています。ここ百合ヶ丘でも集めていただきましたが、結局趣味とか言ってる割に多くの人たちに支えられている‥と、少々後ろめたさを感じたりします。

実は木曜パトロールがもとで2000年に立ち上げたNPO法人「さなぎ達」が、色々あってこの春つぶれてしまいました。まぁパトロールだけは続ければいいかなと思っていたら、物を置いておく場所がなくなったので、けっこう大変なことになりました。しかしすかさず山手教会の福祉部が多額の寄付をして下さったり、様々な方が救いの手を差し伸べてくださったり‥結局そういうことなんだな、と実感しました。そんな今でもあまり人には言いたくないと思っちゃいますが、「自分が勝手にやってる」と思っていることを、実は神さまが【福音】にして下さってる。その部分はやはり、多くの人と分かち合えと言われてるのかなと思います。そう考えると、わたしたちの日常のほんの小さなことでも、けっこう神さまは【福音】にして下さってるのかな、と気づかされます。

ちょっとした支え合い、人とかわす挨拶、誰かを元気にする、あるいは自分が誰かに元気にしてもらう。そんな時、「ほら、ここに【福音】があるよ」とわたしたちは「耳打ち」されているのかもしれません。そんな〈こっそりと〉示されている神さまの福音というわざを、多くの人と分かち合いたいと思います。

                                    鈴木 真

                               


マタイ 10:26-33

(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

  だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」


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